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船橋市議会議員 日色健人 意志あるところ必ず道あり

待っていたって、始まらない。さあ、新しい船橋に! より良い船橋のため、日々奮闘する船橋市議会議員 日色健人の活動をつづるブログです。

早稲田大学鵬志会、二つのニュース


日色です。
今日は常任委員会の審議、所属する建設委員会は議案陳情とも少なく、早々に終了しました。
事務所に戻って片づけをしています。

表題は、私が大学時代に在籍した政治サークルのことです。

今朝のNHKニュースをはじめ、民放各局の報道番組や、新聞各紙、ネットニュースでも大きく取り上げられていましたが、野田佳彦総理大臣による、母校早稲田大学での初の講演を昨日実現したのが、私の後輩達でした。

早稲田大学鵬志会は「現場現実主義」(松下政経塾の「現地現場主義」とどこか重なりますが)をモットーに、政治の現場を学生自らが体験することで、政治への理解を深め、自己研鑽を行おうとする学生サークルです。
私も4年間在籍し、各種選挙のお手伝いや様々なセミナーへの参加など、今日につながる多くの経験を積んできました。

なかでも、年2回、大隈講堂に時の政治家を招いて行われる講演会は活動の目玉であり、会の創設以来錚々たる顔ぶれが並びます。私が在籍していた頃には加藤紘一氏、梶山静六氏、亀井静香氏、鳩山由紀夫氏、山崎拓氏などを迎えたことが思いだされます。

自分のプロフィールにも記録を残していますが、確か開戦記念日当日だったと記憶しているので今日からちょうど13年前、大隈講堂に当時自由党党首だった小沢一郎氏を迎えて講演会を開催しました。当時小沢氏は、新進党の解党から自由党の旗揚げなど、今と変わらず政局の中心におられ、大学での初の講演実現に興奮したものです。
私が実行委員長を務めさせていただき、企画書の作成から事務所への依頼、警察との警備調整、学内外への情宣などをこなしたことを懐かしく思い出します。

昨日もそうだったでしょうが、開演前には長蛇の列で2階席まで満席の入場制限、金属探知機による警察の警備、在京各社のマスコミ対応など、本当にしびれる体験の連続でした。
小沢氏と控室で何を話したのか、緊張していたのか思いだせないのですが、氏が講演を座右の銘とする「変わらずに残るためには、変わらなければならない。We must change,to remain the same.」で締めくくったのを記憶しています。(講演録は翌月の月刊誌「諸君!」に掲載されました)

当時の大学にはまだ革マル派が大手を振って活動しており、彼らの妨害をいかに排除するか、も神経をすり減らしたものです。(野田総理のニュースを見た後だったらか、今朝方はなぜか議場で革マル派にヤジられ、ヤジり返す夢まで見ました・・・)


そして今日、同じく鵬志会の名前がネットニュースに流れています。

私たちが大隈講堂に迎えた小沢氏は刑事被告人として、本日8回目となる法廷に出廷しました。
当時すでに小沢事務所の職員で、私が作成した企画書を取り次いでいただいた鵬志会OBの石川知裕先輩は過日証人尋問を終えていますが、同じく鵬志会の1年先輩で、千葉県出身の池田光智先輩が証人尋問を受けたそうです。

産経新聞のネットニュースでは、法廷の模様を詳しく中継していますが、そのなかで鵬志会の名前やその活動にも尋問がありました。その後の厳しい取り調べと、調書への署名を検事に迫られるくだりは、証人を身近に知るものとして読むのが辛くなるばかりです。

実は、池田先輩は大学1年時に実施された総選挙において、野田佳彦事務所のボランティアに参加し、寝食を忘れて取り組まれたのですが、自由民主党の候補に105票差で敗れるという結果になりました。池田先輩が作られた野田事務所と鵬志会とのご縁が、昨日の母校での講演会の開催に結びついています。

池田先輩は卒業後、小沢事務所に入ることを決めた際、野田氏の自宅を訪れ、自身の決断を伝えられ、御礼を述べられたと野田氏から聞いたことがあります。
また、彼が逮捕された際には、実弟で、私と同じく船橋市議会議員を務めておられる野田剛彦議員も大変心配をされておられました。

もし陸山会事件がなければ、立場は違えど共に首相の凱旋講演を喜び合えたであろうと思うと、残念でなりません。
政治の道を志し、共に学び活動し、酒を酌み交わした先輩同志たちをあらためて思いだすとともに、歴史を重ねる華やかな講演会の開催の裏に、政治の世界の厳しさを改めて垣間見た気がした昨日今日でした。






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