先週24日金曜日に、東京地裁で2件の裁判傍聴をしました。
この2カ月間、大学生のインターンを受け入れていたのですが、インターン期間もそろそろ終わりに近づき、議会もひと段落したのを受けて、さて、最後に何か印象に残ることでも、と考えて思いついたのが裁判の傍聴でした。
(『他の市議会でも見に行く?』という提案にはさすがに誰も乗ってきませんでした・・・)
私には大学生のころ、友人とそれこそ好奇心から裁判の傍聴へのこのこ出かけ、強い衝撃を受けて帰ってきた記憶があります。前科10数犯の覚せい剤取締法違反の男性が求刑にキレて暴れだしたり、交通事故の加害者家族が涙ながらに情状酌量の訴えをしたり、と内容もさることながら、法廷に漂う強い緊張とドラマではない人間の営みを法で裁くことの持つ重い意味に圧倒されたのを今でも思い出します。
社会に出る前に、議会と同様、司法と言う仕組みで世の中が運営されていることを肌で知っておくことも意味があるだろうと思い、学生を連れて東京地裁へ出かけました。
開廷表を確認すると、昨年から制度が始まった裁判員裁判がちょうど予定されていることもわかり、昼食を日比谷公園の松本楼で済ませてから法廷へ。
裁判傍聴は最近本も出ていることからちょっとしたブームになっているらしく、傍聴席43席の法廷は満席でした。
私たちと同じような興味本位の傍聴者が半分以上のようです。
事件は、昨年起きた殺人事件で、22歳の男性が実父の愛人を刺殺したというもの。傍聴した当日は実父が証人として出廷し、検察側から質問するところでした。
壇上には裁判官とならんで6名の裁判員と2名の補充裁判員、いかにも一般人と言う雰囲気で、ラフな服装の若い男性もいました。
1時間半ほどで休憩となりそこで退室しましたが、あとで調べると弁護側は被告人の病歴や犯行当時の心神喪失を申し立てて全面的に争っているようで、裁判員として集中力を切らさず審理に参加しつづけることの負担は大変なものだろうと感じます。
もう1件は、市販のかぜ薬を大量服用して酩酊し、歩道上を車で暴走して8人をはねた、という危険運転致傷罪に問われた男性の裁判。弁護側・検察側双方からの本人に対する審理が行われていました。
いずれの裁判も、傍聴した学生には大きなインパクトを与えたようで、それぞれ感じたことをきちんと自分の中で噛みくだいてくれることを期待しています。
一点だけ学生に伝えたのは、公開されていることの残酷さを忘れないでいてほしい、ということ。裁判も(議会も)国家を公平公正に運営するために公開で行われていることは当然のことです。私たちもそのおかげで、その仕組みと内情を知るために傍聴を行うことができました。
しかし、今回見たように、裁判の場ではあらゆる事実が遠慮なしにむき出しにされます。そして好奇心を満たすために傍聴を楽しむ、いわゆる傍聴マニアと呼ばれる人が裁判所内をそれこそ駆け回っていたのも目にしました。
私たちも広い意味では興味から傍聴に行ったのは同じです。ですから批判する資格はないのは百も承知で、ただ、人の不幸を楽しむような浅ましい好奇心だけで、裁判を傍聴するようなことだけはしないようにお願いしました。
・・・検索していたら、傍聴した裁判員裁判の弁護人が私の旧知の方であったことに今更ながら気づきました。ひげが伸びまくっていらっしゃったので分からなかった・・・
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