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船橋市議会議員 日色健人 意志あるところ必ず道あり

待っていたって、始まらない。さあ、新しい船橋に! より良い船橋のため、日々奮闘する船橋市議会議員 日色健人の活動をつづるブログです。

NPO法人フローレンス:駒崎さんへの返信

日色です。

昨日の「浦安・松崎市長の病児保育に関する発言(とされるもの)をめぐって」と題したブログ記事について、多くの反響がありました。

また、ツイッターを通じて、そもそもの発端となったコメントをされた、NPO法人フローレンス代表理事の駒崎弘樹さんから直接、下記のようなご意見をいただきました。
同時に、駒崎さんは多くのフォロワー(氏のツイートを常に受信している方)をお持ちであり、それをご覧になられた方からも、私宛に100件近いご意見をいただいています。これはあくまで直接に@HIIROTAKETOと記載してツイートされた方の分だけであり、駒崎さんも私も把握しきれないあちらこちらで議論が行われているようです。

ツイッターが世界をつなぐのを容易にする、とはこういうことなのだなあ、と納得するとともに、病児保育にとどまらず保育全般、子育て支援と行政・政治のあり方という課題が、多くの方が関心を持って注視されているテーマであることを痛感しています。

すべてのいただいたご意見に都度返信させていただくことは難しいですが、多くの皆さんの意見を拝見したうえで、駒崎さんのご意見に返信をするかたちで議論を深めたいと思います。

駒崎さんから頂いたご意見は下記の通り。(ツイッターは140字と言う字数制限があります。パラグラフごとに一つのツイートでいただきましたが、時系列順に並べなおして記載します)



浦安市における病児保育の件ですが、現職の議員の方から反論を頂きました。いち民間人の呟きに貴重なお時間を割いてご意見下さいまして、誠にありがとうございます。謹んで再反論させて頂きます。

まず第一に一般市民の公権力への個人的感想の連なりを「フルボッコ」と見なしてしまうことに、いささかの違和感を持ちました。男女共同参画に資する大事なテーマを草の根で議論することは、民主主義の基本かと思います。

また第二に「批判されるべきは子供の体調不良で仕事を休むことを許さない社会、組織であって、病児保育のサービスを提供しない行政(および市長)ではない」とのことですが、前半部分には賛成です。こどもが熱を出した時に気軽に休める社会にするべき、と私も思います。

しかし日色先生に問いましょう。「こどもが熱を出しても休める社会」はいつ実現するのでしょうか?少なくとも1年、2年後の話ではありません。もしかしたら10年後もやってこないかも知れません。その間、窮地に立たされた親御さんはどうすれば良いのでしょうか?

日色先生は「子供を持ちながら働いている親は、その労働環境の改善に向け、あらゆる権利を行使し交渉すべき」と書かれています。正論かも知れませんが、現実的ではありません。現実には多くの労働者の立場は会社と対等に交渉できる位置にはありません。

また「「どうしても私が行かないと」という仕事は存在しません。その人が途中で運悪く交通事故にあって志半ばで斃れてしまっても、世の中はきちんとまわっていくから」というご意見には、多様に、懸命に働かれている方々に、もう少しだけ想像力を働かせて頂きたく存じます。

手術を抱えているお医者さんは、お子さんの熱で手術を伸ばすことは現実的にはできません。重い責任のあるお仕事をされている親御さんは、本当にたくさんいらっしゃるのです。

こどもが熱を出しても気軽に休める社会が到来するまで、セーフティーネットとして熱を出しても安心して預かってもらえる場所を創ることは、先生の仰る「ないものねだり」でしょうか。

「べき論」を大上段に振りかざすのではなく、市民の立場に立ち、共感と共に政策を論じて頂くことはできませんでしょうか?私は政治のこと等露知らぬ一般人ではございますが、現場の声なき声をお届けすることで先生に協力することはできると思います。

浅学の身でありながら御意見奉りまして誠に恐縮ですが、ご意見頂けましたら幸いです。


駒崎さんのツイッター↓

http://twitter.com/Hiroki_Komazaki


まず大事なことは、駒崎さんと私とは、「子供が熱を出したときに気軽に休める社会にするべき」という点では認識を共にしていることです。(第3パラグラフ末尾)これは、この議論が建設的なものになることを暗示しています。なにせ、目指すゴールが同じなのですから。

しかし次に駒崎さんは、そのような社会が実現していないこと、またすぐには実現しない(であろう)と認識し、その間窮地に立つ親のご苦労を代弁されます。
また、「労働環境を改善するために、(子供のために仕事を休む)権利を行使すべき」という私の主張に対し、現実的でないと批判されています。

そして(この文章では明示されていませんが)、「だからこそ、行政による公的な病児保育サービスが必要」というのが駒崎さんの主張だと理解しています。

私も、病児保育を必要とする親たちの声があることは理解しています。そのうえで、その声にこたえるべく活動をされているフローレンスさんや、同種の活動を展開されている団体の皆さんの実績は素晴らしいものと思います。
また、企業等での講演などを通じ、ワークライフバランス社会の実現にむけて行動されている駒崎さんの志に敬意を表します。


さて、病児保育を必要とする理由はさまざまでしょう。休みたいけど休めない。どうしても今日は仕事を優先したい。また在宅で育児をされている方だって、看病疲れから一時でも解放されるために利用したいというご意見もありました。

(論点がややずれますが、自己都合のために(休もうと思えば休めるけれど、今日は仕事に行きたい)、病気の子供を第三者に預けることは、個人として否定的な価値観をもっています。フローレンスさんの病児保育憲章が私にとってしっくりこないのは、理屈を超えた価値観の問題なんだと思います。これはそれぞれの親、家庭のありかたの問題ですので議論は控えさせてください。だからこそ、第6、第7パラグラフで批判されているような物言い(交通事故で死んでも、というのはよくない表現だったと反省しますが、仕事と看護のどちらを優先すべきかという問題に直面した際、優先される仕事など私にはない、というあくまで個人的な価値観にもとづく意見です)に至っています。

私は市民から負託された議席を預かる身として、議会への出席、議決への参加を仕事上の最優先においていますが、もし万一どうしても子供の看病をしなければならなくなった場合には議会を欠席することもあると思います。(私自身は議決を欠席したことはないですが、ご出産や入院で欠席される方もいます)それが市民から批判を受け、次の選挙で落選、ということもあるかもしれませんが、それはそうならないように事前の環境整備をするべく全力を尽くしています。ちなみに前回の選挙の時には、妻子には妻の実家に帰ってもらいました。)


話を戻して、病児保育サービスへのニーズはあるという共通認識のもとで、私の意見は、これは行政が積極的に公費を投じて行うべきものではなく、フローレンスさんのような団体、あるいは民間企業が事業として提供し、利用者は適正な対価を払ってそのサービスを受けるべきものであろう、という考えです。この事業をとりまく法規制にどのようなものがあるのかすべてを了知しているわけではないですが、働く親たちのニーズをとらえて、この事業に参入する病院、団体、企業が「当面は」増えていき、窮地に立たされる働く親の皆さんを救済していただくことに大きな期待をしています。

しかし重ねて、行政が積極的に行うべきでない、とする理由は、先の記事でも述べたように、「子供が熱を出したら仕事を休める社会」を目指すためには、現状に迎合してはならないこと、また迎合することによりよりその目指すべき社会の到来を遅らせることがあるからです。他の方のご意見に、「公的な病児保育が充実したら、子供の看病をしたくても『病児保育に預けて出社しろ』となりかねない」との趣旨のものがありましたが、まさにその危惧をしています。


これもまた論点をずらしてしまいますが、子育て支援を巡るさまざま選択肢の検討の中で、その優先順位を考える必要もあるでしょう。当市(船橋市)の場合、まだ保育園に入所できない待機児童が数百名いるなかで、限られた予算をさらなる病児保育の拡充に投じるべきか、という議論もあると思います。

ちなみに、ご紹介が遅れましたが、船橋市では病児保育を2か所で実施しています。

http://www.city.funabashi.chiba.jp/hoiku/byoujibyougoji/byoujibyougoji.htm

さまざまな制約(事前登録制、38℃超えたら×など)はありますが、県内に7か所しかないことを考えればまだ先進的なのかもしれません。
ただし同時に、1か所の運営委託に年間1100万~1300万円がかかり、延べ利用者が1か所あたり年4~500人であることから計算すると、病児を一人お預かりすると一人当たり1日2~3万円の税金が投入されていることもお伝えしなければなりません(利用者負担は一日2000円)。

予算が青天井ではない(財源が増えない)なかで、さらなる歳出増を伴うサービスの拡充には、(それがなんであれ)議員としてはまずは慎重な立場を取らざるをえないことも申し添えます。(もちろん、私も若い世代として、もっと世代間の予算配分の均衡化などを求める立場であることは駒崎さんと同じですが、子育て支援に配分される予算のなかだけでも、保育事業にその偏りがあることについても問題意識をもっています。)


とはいっても、全く行政がタッチしなくていいわけではないとも思います。先の記事でも書いたように、絶対的な貧困層でかつ恒常的な疾病、障害をお持ちの子供などに限って、民間の病児保育サービスを利用する際のクーポン券のような補助制度等はあってもいいかもしれません。今すでにある様々な制度や手当て(生活保護、児童扶養手当、etc)との整合性は必要ですが、高齢者の敬老祝い金に1億円単位の予算を組むよりもっともっと有効な税金の使い道であるとも思います。
こうした制度と組み合わせていけば、公金を直接投入しなくても、病児保育事業は民間事業として成り立つ可能性が広がるのではないでしょうか。


最後に、社会を変えるための方策について。私が、個人が権利を行使して戦うべき、と書いたことに対して「現実的でない」、「いつ首にされるかもしれない現状を知らない(市民感覚と離れている)」、「個人で戦えとは乱暴」、といった趣旨のご意見を複数いただきました。しかしこれは重ねて主張しますが、個人が戦わずしては社会は変わりません。

社会は、駒崎さんや私が皆さんの代わりに戦って変えるものではなく、一人一人が戦って変えるものです。

その方法はさまざまあっていいと思います。

働く親は職場で、その環境を変えるために一言でもいい、上司や同僚に意見をあげてみてはいただけないでしょうか。
私の意見とは異なりますが、公的な病児保育サービスを充実してほしい、と思う方はお住まいの自治体の窓口に、病児保育サービスの有無や、民間団体の情報を照会してみませんか。
ワークライフバランスを標榜し、実行している企業を見極め、その会社の商品を購入しませんか。
(ついでに、選挙の際にはこのような主張をする議員に投票しませんか、、、)

「子供が熱を出したら仕事を休める社会」の実現に向けて、それぞれがそれぞれの立場で取り組んでいくことを期待して、駒崎さんへの返信とします。



ネット上での議論というのは難しく、あまり得意とするところではありません・・・いつかお会いしてお話しできる機会があればいいですね。

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