日色です。
本日午前、第9回目となる船橋市保育のあり方検討委員会を傍聴しました。
今回の委員会は、8月に公表された一次報告書に対し寄せられた意見、車座ミーティングでの発言内容をまとめたものに対し、各委員が感想を述べるという段階で多くの時間が費やされました。
寄せられた900件余りの意見の大半は、予想通り「公立保育園の民営化に反対する」というもの。
これはこれで結構なのですが、それを受けた委員の皆さんはどのように捉えたのでしょうか。
冒頭発言した委員さんは、「これは市民の声とはいえない」「集め方に問題がある」「責任は事務局にある」とばっさり。
他の委員からも、「これは公立保育園の保護者が大半ですね」と見透かすような発言。
また、意見が民営化反対ばかりに集中して、その他の論点(認可外保育園の課題や被虐待児童への対応など)にほとんど意見が寄せられていないことについて嘆く発言が続きました。
また、誤解に基づく多くの意見があったことについては会長からも事務局(市)に対し、その誤解を解く取り組みを求める発言があったほか、一方的に保育の質が低いと誹謗中傷された私立保育園の経営者委員からは怒りを通り越して、自らの発信不足を反省する旨の発言もありました。
民営化反対の立場に立つ委員から「民営化に対しこれだけ多くの反対や不安の意見が出されたことを留めてほしい」というなんとか精一杯の発言はあったものの、委員会の空気としては「民営化反対の意見が出たようだけども、これはほら、公立保育園にすでに入ってらっしゃる保護者のご意見だから、まあある意味仕方ないよね」という受け止め方がなされてしまったようです。
民営化に対する私の意見はさておき、せっかく1か月以上もかけて集め、また9月の土日に5回も開催した車座ミーティングの結果がどうしてこのように扱われてしまうのでしょうか。問題はないのでしょうか。
結論から言うと、冒頭の委員の意見の通り、「集め方が悪い」のです。
広く「ご意見ございませんか」とすれば、利害関係者で意見のある人は意見を寄せるでしょうが、大半の無関係な市民にとっては意見を出す理由も無く、結果として集まったものの価値は「ほら、この人は○○で困るから意見出してきてるんでしょ」というぞんざいな扱いにしかならないということが今回も如実にあきらかになりました。
こうした問題における「市民の声」を重みのあるものにするためには、利害関係者だけでなく、無作為抽出などの方式によって、幅広い層の市民を集め、公平公正にデータと論点を提示し、一定の時間をかけて議論していただくことがどうしても必要なのではないでしょうか。
保育園の問題であっても、ことの発端は「税金の使い道」という全市民に関係する問題である以上、高齢者にも、これから子供をもつであろう若い世代にもひとしく関係する問題です。また保育園保護者だけでなく幼稚園保護者から見ても、同じ子育て世代への支援という意味では関係者となるでしょう。
直接的には関係なくとも、同じコミュニティの構成員の意見を公平にひとしく収集し、オーソライズされた市民の声を政策に反映させていく必要があると考えます。
最終的には、「市民の声」は代議員である我々議員によって、議場での議論を通じて具現化されます。しかし、二元代表制のもと、提案者である市長の政策立案の過程にも市民の声が正しく反映されていれば、議場での議論はより次元の高い段階になるでしょう。このままではいずれ保育園の民営化がなされるにせよなされないにせよ、賛成派・反対派双方から「市民の声を正しく聞いていない提案だ」と批判されるのが目に見えています。
この問題は、私の今回の9月議会の一般質問のテーマでもあったのですが、各担当課の皆さんはどのようにお考えでしょうか。「反対があってもやるんだ!」というのは勇ましいかもしれませんが、本当に正しい政策を、ふさわしい方法で堂々と市民に問えば、正しい結論が導かれると思います。
むしろ低投票率その他の弊害で偏った会派構成になりつつある議会のほうが、正しく市民の声を反映しなくなっているのでは・・・と危惧しますが、それはまた別の話。
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日色です。
先週24日金曜日に、東京地裁で2件の裁判傍聴をしました。
この2カ月間、大学生のインターンを受け入れていたのですが、インターン期間もそろそろ終わりに近づき、議会もひと段落したのを受けて、さて、最後に何か印象に残ることでも、と考えて思いついたのが裁判の傍聴でした。
(『他の市議会でも見に行く?』という提案にはさすがに誰も乗ってきませんでした・・・)
私には大学生のころ、友人とそれこそ好奇心から裁判の傍聴へのこのこ出かけ、強い衝撃を受けて帰ってきた記憶があります。前科10数犯の覚せい剤取締法違反の男性が求刑にキレて暴れだしたり、交通事故の加害者家族が涙ながらに情状酌量の訴えをしたり、と内容もさることながら、法廷に漂う強い緊張とドラマではない人間の営みを法で裁くことの持つ重い意味に圧倒されたのを今でも思い出します。
社会に出る前に、議会と同様、司法と言う仕組みで世の中が運営されていることを肌で知っておくことも意味があるだろうと思い、学生を連れて東京地裁へ出かけました。
開廷表を確認すると、昨年から制度が始まった裁判員裁判がちょうど予定されていることもわかり、昼食を日比谷公園の松本楼で済ませてから法廷へ。
裁判傍聴は最近本も出ていることからちょっとしたブームになっているらしく、傍聴席43席の法廷は満席でした。
私たちと同じような興味本位の傍聴者が半分以上のようです。
事件は、昨年起きた殺人事件で、22歳の男性が実父の愛人を刺殺したというもの。傍聴した当日は実父が証人として出廷し、検察側から質問するところでした。
壇上には裁判官とならんで6名の裁判員と2名の補充裁判員、いかにも一般人と言う雰囲気で、ラフな服装の若い男性もいました。
1時間半ほどで休憩となりそこで退室しましたが、あとで調べると弁護側は被告人の病歴や犯行当時の心神喪失を申し立てて全面的に争っているようで、裁判員として集中力を切らさず審理に参加しつづけることの負担は大変なものだろうと感じます。
もう1件は、市販のかぜ薬を大量服用して酩酊し、歩道上を車で暴走して8人をはねた、という危険運転致傷罪に問われた男性の裁判。弁護側・検察側双方からの本人に対する審理が行われていました。
いずれの裁判も、傍聴した学生には大きなインパクトを与えたようで、それぞれ感じたことをきちんと自分の中で噛みくだいてくれることを期待しています。
一点だけ学生に伝えたのは、公開されていることの残酷さを忘れないでいてほしい、ということ。裁判も(議会も)国家を公平公正に運営するために公開で行われていることは当然のことです。私たちもそのおかげで、その仕組みと内情を知るために傍聴を行うことができました。
しかし、今回見たように、裁判の場ではあらゆる事実が遠慮なしにむき出しにされます。そして好奇心を満たすために傍聴を楽しむ、いわゆる傍聴マニアと呼ばれる人が裁判所内をそれこそ駆け回っていたのも目にしました。
私たちも広い意味では興味から傍聴に行ったのは同じです。ですから批判する資格はないのは百も承知で、ただ、人の不幸を楽しむような浅ましい好奇心だけで、裁判を傍聴するようなことだけはしないようにお願いしました。
・・・検索していたら、傍聴した裁判員裁判の弁護人が私の旧知の方であったことに今更ながら気づきました。ひげが伸びまくっていらっしゃったので分からなかった・・・
日色です。
去る13日、一般質問を終えました。
今回は、①「偏りのない」市民の声を市政に反映するためにはどうすべきか~無作為抽出方式の可能性について ②子育て支援について、の2点を通告し議論を行いました。
最近だんだんと原稿をきっちりと用意しなくなってしまい、淡々とした質問になってしまったことを反省しつつ、ご紹介します。
下記リンクからご覧ください。
http://220.110.150.171:8080/chukei/video_22y3r/day4/0913_03.asx
日色です。
たまっていたホームページの更新作業を終えました。
明日から配布予定の「船橋の論点vol31」、8月に発行した市議会レポート13号、
また議事録、質問動画も整理更新してあります。
お時間のあるときに是非ご覧ください。
http://www.taketo2784.net/
日色です。
今日から平成22年第3回定例会、いわゆる9月議会が始まります。
先月から3名のインターン生を受け入れているのですが、ただ傍聴しているだけではひたすら睡魔との闘いとなることは必至なので、宿題としてブログで傍聴記を作成することを指示しました。
さっそく作ってくれたのが下記リンク。各日の議事と内容を、学生の視点で切り取ってほしいと期待しています。
私も随時コメントしていく予定です。
ぜひ当ブログと合わせてご覧ください。
http://ameblo.jp/internship-chiba/